田中阿季羅が白金堂にまつわる様々な話をお届けします。

2012年1月アーカイブ

『仏手柑』

 今日は、お天気も良く比較的寒さも緩んでおりましたので、仕事の合間に昨年の春より気になっておりました法金剛院の境内にある 『仏手柑』 を観てまいりました。

タイミングよく立派な実を付けており、本当に仏さんが手を合わせておられるが如く、横向きに生っていた実を発見しましたので写真を撮らせていただきました。

過去に写真でしか見たことがありませんでしたので、実物は思っていたより大きく、本当に大人の手ほどの大きさがあり、レモンのような柑橘系のよい香りがしました。

丁度、お庭の手入れをされている方おられましたので、いろいろお話を聞いておりますと原産地はインドらしく、実を付けている木もそんなに大きな木ではないのですが、新芽を付ける枝を切り、接ぎ木で増やして実を付けるまで20年近くかかるそうです。また柚子の木と同じように枝には鋭いトゲがあります。

 

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 『法金剛院』

京都市右京区花園扇町に現存する寺院で、平安前期、右大臣・清原夏野(きよはらなつの)の山荘だったものを死後に 双丘寺とし、天安2年(858年)になって文徳天皇の勅願によって大きな伽藍を建て 天安寺 が建立されたがその後は荒廃し、大治5年(1130年)になって鳥羽天皇の中宮 待賢門院璋子(たいけんもんいんたまこ)が復興したものである。璋子はここで晩年を過ごし、今も法金剛院の北、五位山中腹の花園西陵に眠る。

絶代の美貌を謳われ、信仰心も深かった璋子を慕い、法金剛院を訪れる人々の中には、かの歌僧・西行もいたという。

待賢門院璋子につかえて出家の共をした待賢門院堀河は、『百人一首』 に歌を採られるなど歌人としても名高い。

 

 

『平清盛』 ゆかりの地 其の二

『東山 六波羅蜜寺』

 六波羅蜜寺は、平安中期に空也によって開かれた道場を由来とする寺院です。空也の死後、清盛の祖父・正盛が寺院の近くに邸宅を構えたため、辺り一帯に平家一門の邸宅が集まることとなりました。

 清盛も若い頃は、六波羅の邸宅で過ごしていたといい境内には、清盛の供養塔が建てられています。また、ここには僧形の平清盛座坐像も伝わり、念仏を唱える様子を六体の阿弥陀仏像で表した空也上人立像、定家や運慶という名だたる仏師が造った地蔵菩薩などとともに、宝物館で見ることができます。

 

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『雪中竹』

 

『平清盛』 ゆかりの地 其の一

 NHKの大河ドラマ 「平清盛」 が今月8日(日)から始まります。

「平氏にあらずんば人にあらず」 という言葉がまかり通った平氏政権を築いたため 悪役の印象が強い人物ですが、そもそもの言葉自体は、清盛が述べたものではなく、一説によると温厚で情け深い人物であったとも伝えられています。

 また、権力者としてさまざまな偉業を成し遂げた事実も残ります。武士から太政大臣まで上りつめた清盛は、現在の博多に日本初の人工港を造ったり、現在の神戸港の一部に 「大輪田泊」(おおわだのとまり) を拡張したりして日宋貿易を盛んに行ました。

 そこで、清盛の人物像にせまる 「京のゆかりの地」 をいくつか紹介したいと思います。

 

『祇園 八坂神社』

 八坂神社は、古くから厄除けの神社として信仰され、近年では芸舞妓も訪れる境内の 美御前社(うつくしごぜんしゃ) が若い女性の関心を集めています。また、 「平家物語」 でつづられる清盛誕生に関する逸話にゆかりのある「燈籠」が残ります。

 ある夜、白河法皇が光る怪しいものと出くわし、お供を務めていた清盛の父・忠盛に退治を命じます。しかし忠盛は、燈籠に火をともしていた社僧だと見分けたため、その思慮深さから法皇より祇園女御を下賜されます。この時、女御は妊娠しており、生まれた子が清盛だったと伝えられています。

 

 

明けましておめでとうございます

旧年中は格別のご厚情を賜り、有り難く厚く御礼を申し上げます

本年も引き続きお引き立てのほど、心よりお願い申し上げます

今日は、伏見稲荷大社へお参りに行ってきました。三が日は過ぎておりましたが、大勢の参拝客で参道から本殿までたどり着くまで一仕事でした。

 

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