田中阿季羅が白金堂にまつわる様々な話をお届けします。

2012年9月アーカイブ

日本人の精神文化

 昔の大家族の家庭では、親の苦労を見て育った上の子が下の子の面倒を見、子供たちで役割を分担し手伝いをしたり、おかずやおやつは分け合って暮らすことが当たり前でした。インドを旅するたびに、今でもあちこちでこうした光景を見かけては、遠い日のことが懐かしく甦ったものです。

 水道の蛇口をひねると飲める水が出てくる。夜の通りを女性一人でも歩ける。先進国といわれる(ある程度)豊かな国。ここまでは世界中を探せば何本かの指を折ることができます。しかし、それでいて徴兵制のない国となるとどうでしょう。「知足」のこころを忘れたことを知らされ考えさせられます。

 

2500年前、お釈迦様が説いて歩かれ、導かれた法

 

 仏教は2500年前のインドに実在されたお釈迦様が、その生涯にわたり多くの人々に説いて歩かれ、導かれた法(ダルマ)であると思います。それは人間が普遍的に、潜在的に背負う悩みや苦しみから解放される悟りの境地、即ち真理に目覚めさせる教えです。

 本来は象(かたち)をもたなかった仏教ですが、その後、仏像や仏画等の美術やさまざまな工芸、そして建築や庭園、音楽、芸能に至る多彩な文化を生み出してきました。それらは凡夫の肉眼には観ることが出来ない仏教の世界をかたちを通してメッセージされてきたのだと思います。

 わたしは仏像制作の道に携わっています。仏師の修業はまず刃物を研ぐこと、木を削ることから教わります。仏像の手や足、そして頭部へと、部分が彫れるようになるとようやく全身像に挑みます。同時に技術の修練だけではなく仏教各宗派の教義や仏教美術の歴史も学ばなくてはなりません。

 

自然に対する感謝と畏敬する心を学んだ

 

 古典の仏像にはそれぞれ造られた時代の特徴が現れています。仏教美術に明るい人は制作された時代を言い当てます。それはそれぞれの時代に生きた人々が悩みや苦しみから救われたい、助かりたい、と抱いた願いや美意識、そして生活が仏像に反映されているからなのです。

 6世紀の前半、それまで神道を奉じてきた日本に仏教が伝えられました。やがて仏教と神道は習合していきました。ここから自然に対する感謝と畏敬する心と畏怖することを学び、社会における連帯感、絆が身に備わり、世の中の秩序が形成されてきたように思います。

 大家族時代に話を戻しますと、日本人の精神文化をささえてきた面で仏教は大きな位置を占めてきました。身近なところでは子供や孫たちは、お仏壇の前のおじいちゃんやおばあちゃんの膝の上で、「誰も見てないと思っても、ののさまはいつも見てはるのえ」と聞かされてきた日常が、その子の人格の縦軸となってきたように思います。目を疑うような事件や、世の中を震撼させる現象が続く世相を考えると、私たち日本人は、何か大切なことを置き忘れてきたのでは、と思われてなりません。

 

京都新聞 「日本人の忘れもの」

 仏師 江里康慧さん の言葉

 

 

00007431.jpg 『色絵萩雁図香合』

 

菊の節句

 中国では、紀元前のむかしから薬用植物として、 「菊」 を尊んだ。当時は、食べていたようで、現在でも和食などで、菊が添えてあることが多く見かけられるのは、盛り付けの飾りとともに、その風習の名残りだといわれています。

 長寿と心神の統一を願って、人は菊を食しました。酒に菊の花びらを浮かべて飲むのが 「重陽の節句」 で、このような様式化は、はや漢代にはじまったものが、宮中に伝えられたといわれています。別名 「重九の節」 ともいわれ、九月九日と九の字が重なるためで、重九は、 「長久」 と音が通じるため、縁起が良いとして喜ばれました。

 

 00007680.jpg 『色絵菊図向付』

 

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