田中阿季羅が白金堂にまつわる様々な話をお届けします。

2013年3月アーカイブ

西陣 魚新

 何時も、お世話になっております 「西陣 魚新」 さんで、お昼をいただいてきました。  「旬」のものをジャストでいただくというこの贅沢さ、喜びも一入でした。

 気温も昨日より、10℃も下がり冬のように寒い日でしたが、白味噌仕立てのお椀、すっぽん鍋 暖たまる物もお出しくださり、本当に美味しくいただきました。

  

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「梅図のお敷」

 

 

002  2013.3.14.JPG「前八寸」

 

 

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「お椀」

 

007  2013.3.14.JPG「炙った唐墨が・・・」 

 

009  2013.3.14.JPG「向付」

 

 

010 2013.3.14.JPG「逆さまに・・・」

  

011  2013.3.14.JPG「楽のお皿」

 

014  2013.3.14.JPG「焼物」

 

016  2013.3.14.JPG「すっぽん鍋」

 

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020  2013.3.14.JPG「揚物」

 

022  2013.3.14.JPG「酢の物」

 

023  2013.3.14.JPG「筍御飯」

 

027  2013.3.14.JPG「ご馳走さまでした」

 

布施

 

 20年来のファンでもあります長浜盆梅展。何とも言えない梅の高貴な香りが楽しみで、毎年のように訪ねております。その盆梅展の広報宣伝を担っております長浜観光協会から先月、盆梅一鉢が清水寺に奉納されました。一重の白梅で、私は 「白雲」 と名付けました。 「白」 には清浄無垢(しょうじょうむく)、無私の意味が込められています。観音の心であります。

 

現代は「私が」という気持ちばかりが先に立ち、

布施を忘れているように思えてなりません。

 

 観音菩薩は梵語(ぼんご)で 「アヴァローキテーシュヴァラ」 といいますが、「アヴァ」とは「離れる」、「ローキテー」とは「観る」、「シュヴァラ」とは「自在」という意であり、西域からの中国渡来僧鳩摩羅什(くまらじゅう)は「観世音」と翻訳し、唐の玄奘三蔵は「観自在」としました。いずれもきれいな訳です。

 

雑宝蔵経が説く 「無財の七施」

 

 「観る」というのは、「私」、つまり主観です。「離れる」とは「自我」から離れることです。観音経は私たちがたくさん愛欲を持っていても、観音を念ずれば愛欲から離れられる、憎悪や愚かさからも離れることができると説いています。私たちは常に自分の都合のいいところに身をおいています。自分以外のところに時間を使うということは、自我の私とは反対側に身を置くことになります。これこそ観音の心です。

 そのような行いとして雑宝蔵経(ぞうほうぞうきょう)は、 「無財の七施」(むざいのしちせ) を説いています。誰もが何も用いなくてできる布施です。やさしい眼差しや顔をする 「眼施」(げんせ) と 「和顔施」(わがんせ)。 「言辞施」(ごんじせ) は相手を思う言葉遣いをすること。身をもって手助けする 「身施」(しんせ) とやさしい心配りの 「心施」(しんせ)。 「床座施」(しょうざせ) は座席を譲り、 「房舎施」(ぼうしゃせ) は過ごすところを提供することです。

 

ひたすら聴いて 相手を受け入れる 耳施

 

 私はこれにもうひとつ加えたいと思います。8番目に 「耳施」(じせ) です。耳を傾け、ひたすら聴いて相手を受け入れることです。「無財の七施」が能動的な行いであるのに対し、耳施は受動的であるところが違います。耳を通して相手と一体になり、心を共有するのです。ドイツの古い言葉に 「人と喜びをともにすると2倍になり、人と悲しみをともにすると半分になる」 とあります。観音とは、私、つまり主観である 「観」 と私を取り巻く環境や世間、つまり客観である 「音」 とが一つになることです。これが耳施です。

 近頃は、人前で乳飲み子に母乳をふくませている姿を見掛けることは少なくなりましが、乳飲み子がお母さんを見ている目とわが子を見ている母親の目の見つめあう光景は、何ともいえない情愛を感じさせます。子供あってのお母さん、お母さんあっての赤ちゃん。それが一体になっています。お母さんと赤ちゃんは一体になって生かされています。相手から無量のエネルギーをいただいています。

 「無財の七施」、そしてもう一つ耳施という徹底的に受動的な布施の行いによって、私たちは生かされている自分に気付かされます。現代は 「私が」 という気持ちが先に立ち、このような布施を忘れているように思えてなりません。

 

京都新聞 「日本人の忘れもの」

清水寺貫主 森 清範さん の言葉

 

 

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『白雲』

 

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