田中阿季羅が白金堂にまつわる様々な話をお届けします。

2013年6月アーカイブ

京ものと京都ブランド

美人でもないのに美人に見せるブランド力

 日本中に不況ムードが漂って何とか経済を立て直さなければ、というこの時代に、にわかに熱いまなざしが注がれるようになったのが 「京都商法」 「京都ブランド」。 ともあれお金を儲けた人や企業が一目も二目も置かれたバブル期の拝金主義への反省からか   売り手よし、買い手よし、世間よしという京都商法こそ、日本の経済を立て直す鍵になるのではないかと、真剣に研究するマーケターもいると聞きます。量より質、カネより信用を重んじ、結果としてブランド力を膨らませてきたと言われる京の商法。そのイメージと真価について考えてみます。

 

「とくに美人でもないのに、京言葉を巧みに操るというだけでとっておきの美人に見えてしまうのよね、京都の女性って、京女はトクねー」と、大学時代の友人が皮肉めいてこぼしたことがありました。別に私のことを言われたわけではありませんが、たしかに顔かたちではなく言葉やしぐさなど、全体の雰囲気でそこはかとない色香を感じさせる女性が京都には多いように感じます。これもまた、京都ブランドの力かもしれませんが、概して京都は人でもモノでも付加価値をつけることに長けていて、真価よりはイメージが先行するようです。そしてこのイメージ力こそがブランド力なのだと言われていますが、私は「それはちょっと、違うのと違うやろか?」という印象をもっています。昨今かまびすしいブランドという概念と 「京もの」 の概念とは、根本的に違っているのではないかと・・・・。

 

かつて 「下りもの」 と呼ばれた京ものは、食品であれ工芸品であれ、素材、技術、美的センス、実用性ともに優れ、江戸をはじめ全国の憧れの的であったことはたしかなようで、京もの以外のモノは 「下らないもの」 と呼ばれたほど。メイドイン京都の製品は他の追随を許さないほど差別化されていて、イメージではなく実態としての価値があったように思われます。その価値ある 「京もの」 は、目利きの消費者を満足させるべく商人がプロデュースし、職人のたしかな技が応え、使い手の生活と精神まで豊かにしてくれるモノたちです。

衣食住のすべての生活財を用にも美にも適うよう、形と機能と芸術性とを統合させた 「京もの」 は、ありていに言えば本物とか一流品。だからこそ 「買い手よし」 で、その付加価値が 「京都ブランド」 として注目を集めているというのです。

 

先日、ニューヨークや東京で注目を集めているという、マーケターの 「京都ブランド」 というテーマの講演会に行きました。その講師は、京都の歴史、伝統、文化をレバレッジ(てこ)として、京都の企業や商品は「ブランドの再構築」をしてゆかねばならないと説き、世界をマーケットにビッグビジネスを展開する自動車メーカー「プジョー」が粉挽き屋から出発したことや世界の玩具メーカー「レゴ」は元大工さんで、いまではディズニーランドのようなレゴ遊園地を造ったこと、日本では銀座の高級果物店「千疋屋」が、若い女性向きの商品開発とマークやロゴの刷新で、ヤング女性の「囲い込み」に成功しつつあることなどを好事例として紹介し、「伝統産業のリバイタルとリファインとリポジションとエクステンションが必要です」と唱えておられました。

その講師はもちろん日本人でしたが、やたらと横文字でおっしゃるものだから、会場の方々も分かったような分からないような表情で聴いておられたのですが、ある老舗の酒造メーカーの社長さんが、

 

「会社や商品のブランド力を維持するには、品質管理と顧客志向と革新性の三つしかありません。多くの老舗は商品にも経営にも日々革新に努めているはずですが、動いているように見えないだけです。また、京都の企業や店が自ら京都ブランドという幻想を信じ、ましてアテにしない方がいい。同様に京都の歴史や文化もアテにしてはいけないと思います。ものづくりの第一義は顧客を満足させる品質しかありません。もし、京都商法という伝統があるとすれば生産の理論ではなく、消費の文化を尊重することだと思います。ですから、目利きの消費者こそが、製品の質を向上させ、私たちの商いにも力を貸してくれるのです」

 

と遠慮がちに発言されたとき、私はこの社長さんに心の中で拍手を送っていました。少なくとも消費者を「囲い込む」といった発想はなく、どう満足してもらえるかに腐心する姿勢がうかがえましたし、ロゴや遊園地などでの「ブランドの再構築」には大した価値を見出しておられないようにもお見うけしました。だからこそ、情報やトレンドに鈍感で 「動かない京都」 というイメージがあるようですが、それは静止しているように見えるだけで、もの凄い力で均衡を保っているのではないかと、常々私も感じています。

 

「京都ブランド」 というおだてに乗って、京都自身がものづくりへの真摯な気持ちを忘れ、町の資産をアテにしてイメージ先行の製品を世に送り出すようになれば、京都もまた小東京という一地方都市になるような気がしてなりません。

 

 参考文献:京のわる口、ほめころし 石橋郁子著

 

 

00007422.jpg『錆絵百合形向付』 

 

 

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