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白金堂ブログ

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火の文化

歌の歌詞ではなけれど、忘れられない、忘れたくない思い出が、ふりかえってみると人生の中にたくさん詰まっている。そんな思い出の一つが、たき火である。

 子供のころ、年中、落葉やごみを庭で燃やしていた。わらで作られた俵など燃やせば、その残り火の中で焼き芋もした。火がいきよいよく燃えると面白いからどんどん火を大きくすると、大人から危ないといって叱られた。火が消えたあとも、何度も見にいって本当に消えているか確かめさせられた。しらずしらずのうちに火の教育を受けてきた。

人類にとって火は最も大切な文化の獲得

 今、家の内外から火がなくなってしまった。火は危ないからなるべく生活の中から追い出すことが近代化であった。おかげでたき火の楽しさも火鉢で炭をおこす面白さも、遠い思い出になってしまった。火遊びと言っても、怖さと面白さが背中合わせになっている言葉の感覚は、今の子供たちには伝えられない。やがて火遊びという言葉が死語になるだろう。

 人類にとって火は最も大切な文化の獲得であった。ヒトがヒトとなったのは、火のおかげともいえよう。人類が火を常用するようになったのは60万年から80万年前といわれる。

 照明としての火は、夜の行動を可能にしたし、野獣から身を守る術ともなった。冬の寒さも火のおかげでやわらいだことだろう。火のもっとも大きな恩恵は、食べ物の世界を一変させたことである。人類は火を得て肉でも野菜でも柔らかくして食べられるようになった。寄生虫もばい菌も加熱することで死滅させることができた。

かろうじて火の文化を伝えているのは茶の湯

 火の周りに人が集まり心を一つにする。おそらく火が使われはじめたころは、発火させることがとても大変だった。だから燃えている火を消さずに守らねばならない。それは不在がちな男の仕事ではなく、炉の周りにいて仕事をする女の役目であったろう。女性と火の周りに人が集まりそれが家族となった。今でも常夜燈のように絶やさぬ火がある。聖火が消えぬようリレーされるのも、太古の昔、集団が移動するとき、火種を大切に持って歩いた名残ではあるまいか。

 偉大な火に対する信仰は洋の東西を問わず遍在する。拝火教の火も護摩の火も、鞍馬の火祭も、みな火の神聖なることを示している。同じ火を使うことでわれわれは同朋であると確信できたのである。同じ釜の飯を食う、というのは、同じ火で煮炊きすることに意味が半ばある。

こんな大事な、偉大な文化を危険だからといって捨ててしまってよいものか。

 今、かろうじて火の文化を伝えているのは茶の湯である。茶の湯には、炭点前というのがあって、まず炭をおこし、下火をつくり、これに大小さまざまな炭を置きそえて、タイミングよく湯がわき、釜から松風を連想させるようなかすかにわきあがる音が聞こえてくるように、段取りをする点前である。しかもそれを客の見ている前でする。

 日本人が忘れかけている火の文化が茶の湯に息づいているのを見てホッとするのは私だけではあるまいと思う。

京都新聞 「日本人の忘れもの」

静岡文化芸術大学長 熊倉功夫さん の言葉

『黒楽梅図茶碗』